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郷土の歴史

常山  妹尾川 源流をもとめて  海から陸へ大変身!  郷土の一口メモ

地図を読む  大日本帝国陸地測量部 地図  昔の妹尾周辺地図

岡山城 烏城 旧閑谷学校  吉備津神社  鷲羽山 櫃石島 岩黒島 与島 瀬戸大橋

犬島 鬼ノ城 岡山の塔 岡山の木造校舎


■常山
常山常山常山

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■妹尾川 源流をもとめて
妹尾川
0km
妹尾川の河口は倉敷川の小さな漁港。鮒鯉の漁獲量は如何ほどか?
使っていない船も。4号樋門
昭和17年1942年 表現主義の鉄筋コンクリート製。
鎖で上下する木のゲート板は下部の方が厚くなっている。合理的。
コンクリート製釣り合い錘 錆びたギアボックス。

2.5km
30号線に1912年に干拓その堤防だ。
排水貯水池の調整をするのが桜の馬場樋門、柳の馬場樋門。
道路拡張前は小さなレンガの樋門だと思っていたが、
移築保存を見て驚いた。立派。凱旋門だ。
もっとも水面下海底から眺めているのだから。

妹尾川
3.3km
三連樋門。明治37年1904年御影石扁平アーチの橋。
レンガと石の樋門
石の積み方が美しい。アーチの技法を必死で学んだのか。
古い写真には木の樋門に釣り合い錘。
船がいっぱい。藤田農場の集積地だ。
藤田支所はもとの干拓事務所なのだ。

4km
唯一川らしく蛇行。 葦に囲まれ自然の川のよう。

5.4km
内尾大水門。
文政7年1825年シーボルト来日。勝海舟生誕の年。
石作り3連の樋門。橋脚を繋ぐ土台石は650*600*10M。
梁は750*500*5.5M2本。
荒々しく五角形に加工。鳥居だ。
復元したのだろう樫の心棒は7寸角。八角形に面取り。棒を差し込むための2寸角の臍穴。
心棒受けの石柱の加工が全て異なり面白い。3連橋の中央は60cmほど橋桁が高い。
船の通路か。橋の幅は12m。なぜこの幅が必要だったのか。
200m上流には同じような樋門が。不思議。

妹尾川

6.8km
妹尾の街中に妹尾病院。郵便局。芳塘園は桜の名所。

7.3km
汗入。汗入水道。岩盤を掘り抜く難工事。明治42年にも改修工事を。

9km
妹尾郷用水との伏越頏閘(川の立体交差)。この水はあげないよと言っているみたい。

妹尾川

9.3km
泉水樋門。1825年東六間川より取水。
東六間川は六間川につながり、酒津堰で高梁川に。足守川にも。
複雑な用水網は水争いの結果だ。この辺りの足守川は複雑な流れだ。
また十二ヶ郷用水にも。
湛井堰で高梁川に淡水湖が出来るまで続いたのだろう。


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■海から陸へ大変身!
海から陸へ


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■郷土の一口メモ
一口メモ


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■地図を読む
新見で伊能忠敬の日本全図を見ました。
樺太から鹿児島まで体育館の床いっぱいに広がっていました。
1800年56歳の時から74歳で亡くなるまで10回にわたり全国を測量。なんという体力、気力でしょう。
海岸線は現在と変わらないほど正確。しかし内陸部は街道沿いのみで、山や川は少し漫画のようで空白地帯もありました。三蟠から九蟠にかけての新田干拓は完成。しかし児島湾は広い。葦の原、広大な干潟が広がっていたのでしょう。
金山、寒霞渓、五剣山からは赤い線が。きっと三角測量の基準点ですね。形はかなりいい加減だが、よく見ると面白い。高梁川の河口は二つに分かれている。
100年前の河川改修までは東高梁川は水島に流れていたのだ。臨海鉄道は昔の堤防をはしっている。
足守川も海に注いでいる。児島は島になっている。聞き慣れない地域が「都宇郡」「窪屋郡」、そうか二つ併せて都窪郡だ。
地図 地図



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■大日本帝国陸地測量部 地図
地図 明治三十年の岡山市の地図。赤い点線は現在の海岸線。


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■昔の妹尾周辺地図
地図 明治三十年測量 昭和三十四年修正 三十七年発行


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■岡山城 烏城
地図

お城のペーパークラフト
久しぶりに岡山城の模型を作ってみました。
デジタルミュージアム発行 500円。姫路城に比べてちゃち。
軒裏が表現されていないので見上げた時はいまひとつ。 しかし独特の外観はよくわかる。
ペーパークラフト

慶長2年。1597年 宇喜田秀家が8年かけて造った梯郭式平山城。
関ヶ原の戦い1600年
より前だ。安土城 大阪城よりは後だが大きな城ではもっとも早い。
広島城1599年 姫路城1609年 熊本城1606年 
松江城1611年 名古屋城1612年 江戸城1622年
旭川の崖を利用した野面積みの石垣。この変形した敷地にどう建てようか棟梁は頭を抱えただろう。
1階は変形五角形。塩倉も平行な所がない。
2階は変形六角形。屋根がうまく収まらない。
唐破風の出窓をつけよう。良いアクセントになった。
3階は屋根裏。入母屋の出窓で変形十字型。
4階はやっと長方形。
5階は屋根と梁の構造でH型。
6階は正方形。
妻面が並行でない変形六角形に入母屋屋根を葺く。
屋根職人も大変だ。今の和型瓦では不可能。
本葺き瓦(平瓦と丸瓦との組み合わせ)だから可能。
微妙に瓦の重ねを変化させれば。
1階は13間*8間、6階は3間*3間。この縮減率はすごい。
10分の1以下。
南北からの安定感。東西からは塔のよう。
入母屋2階建てを3つ積み重ねた構造。
初期豊臣の城の特徴。望楼型だ。
熊本、広島、松江など変化があって面白い。
家康の城は層塔型。同じ縮減率で面白くない。
構造的には安定するが。
名古屋城、破風は単なる装飾。島原城、破風すらもない。

城


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■旧閑谷学校
300年前からの学校。
講堂
錣葺き入母屋造り。錣(しころ)屋根の中途で段を付けたもの。京都御所にもある。

閑谷 聖廟
孔子を祭った建物。今屋根の修理が行なわれている。備前焼本瓦葺き。
なんと土を使っていない。
今の瓦屋根も棟、尾、熨斗は土、漆喰で施工するのに、 二重三重の雨漏り対策が施されている。

(A)流し板 (B)目板 (C)隙間を漆で防水 (D)土居葺き(木の板を重ねて張る屋根)
(E)野地板 (F)備前焼の排水パイプ (G)野垂木 (H)化粧軒板 (I)化粧垂木
茶髪の職人が楽しそうに働いている。

閑谷 閑谷川を上ると茶室

黄葉亭
川の合流部にあり鳥の声。
せせらぎを聞きながらの一服は最高でしょうね。


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■吉備津神社

真金吹く 吉備の中山 帯にする 細谷川の音のさやけさ
応永32年 580年前に建立。
二つの千鳥破風を持ち、 漆喰の亀腹の上に優雅に軒を伸ばし浮かんでいる。
本殿内部は驚くほど立体的。
幾つかの階段を上り子供の祈祷を受けたことがあるが 荘厳な気持ちになったのを思い出した。
桧皮葺きの補修工事。桧皮は厚さ2ミリほどで、原皮士呼ばれる職人が桧の立木に。
登り樹を傷つけないように剥ぎ取る。
鉄ではなく竹の釘で止めるのだ。職人達の落書きが残っている。
明治43年。本殿拝殿境羽目板に。
宮内屋ニ コセン ト云ウ藝奴アリ 愛嬌モノニテ
大富リ 比時ハイカラ大ニ流行 眼鏡モ大ハヤリ 空中飛行器発明ニ各國熱中シ研究ス
比時新婚旅行大流行
昭和31年7月27日 太コ待チツツ記ス終業時間5時20分
始業時間7時40分 日当550円本殿に駆け上る廻廊
温羅伝説の御釜殿 池に浮かぶ宇賀神社
足を伸ばして吉備津彦命の御陵の前方後円墳 169段の階段を登ると息が切れる。
運動不足だな。備前平野の眺望が開ける。
三十三の小さな石仏があ。赤いエプロン掛けだ。
如来や菩薩、顔が三面あるのは阿修羅か馬頭観音か。観音菩薩は艶かしい。

吉備津神社


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■鷲羽山 櫃石島 岩黒島 与島 瀬戸大橋

船に乗らなくても車やバスで島巡りが出来ますよ。
与島はサービスエリアがあり、そこから瀬戸大橋の眺めも素晴らしいですが、
第2駐車場まで降り、島を散策してみたら、
南に段々畑の間を通り漁師町のせまい路地を抜けると
海と橋が目の前に防波堤の向こうには白い灯台のある鍋島。
目の前を漁船や貨物船に混じり、巨大なタンカーが通ることも。
櫃石島 岩黒島はバスで。岩黒島は地上50m瀬戸大橋上に停留場が。
眺めは抜群。エレベーターで地上に。民宿もあります。
鷲羽山は駐車場から展望台、山頂へ。この辺りまでは普通のコース。
まだ奥へ。下津井大橋を真上から眺め、下津井電鉄の駅の跡、路線の跡の遊歩道は
高速道路の下を通る、変化に富んだ道です。
私は茶屋町からナローゲージの小さな電車、小型バスほどデッキ付きで下津井に。
島へ海水浴に行った記憶がかすかに、、、いい歳ですね。

瀬戸大橋


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■犬島

岡山市唯一の人の住んでいる島。
宝伝から郵便船で10分。
人口100人ぐらいか。ごたぶんにもれず過疎の島。
空家が目立ち屋根の崩れた家も。
産業は隣の犬ノ嶋の化学工場と石材業。
いちばんの魅力は明治大正時代の金属精錬工場の跡地。
うっそうとした木の向こうに広がる異次元の世界。
砂山の上にそびえ立つ数本の崩れかけたレンガの煙突。
黒いガラスを固めたようなブロックの塀。
古い教会のような発電所の廃墟。
石材採掘の跡。火山の火口みたい。
エメラルドグリーンの水が溜まり不思議な風景。
小豆島 豊島は海の上に浮かび、金甲山に夕日が沈む時海は黄金色に輝き、
夜は牛窓の明りが煌く。聞こえるのは波の音のみ。
犬島 犬島

海水浴場、キャンプ場も整備。民宿・学校跡地の市宿泊施設もあります。


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■鬼ノ城

1300年ほど前に大和政権ににより築かれたと言われる山城。
復元された西門。版築土塁などがありますが、綺麗過ぎるかな。
節の無い柱、梁、真っ直ぐな板の屋根。
もっと自然な木を使った方がリアリティあるのでは?
せっかく作った土を突き固めた土塁も長雨で崩れ落ちるとは。
見所は水門。屏風折れの石垣、城門の巨大な石の基礎。
改めて昔の人の土木建築技術に感心します。
古墳時代から飛鳥天平時代、吉備王国とウラ・大和朝廷との戦い。
瀬戸内海は眼下に広がり篝火や狼煙、鬨の声。
車でもきつい山道。駐車場からは息が切れます。城壁から下はまさに断崖。
敵の兵士はこの山を攀じ登ったのでしょうか。
山頂部はなだらか。食料倉庫の跡の大きな基礎石。
田んぼや畑があり、何百人の人が山の上で暮していたのかな?
古代のロマンに思いを馳せるのも良いのでは?
第5水門あたりに千手観音の美しいレリーフもありますよ。
今は岡山自動車道が大蛇のようにうねり、
風向きによっては岡山空港に下りる旅客機がすぐ真横に。
そして着陸するまで見えます。

鬼ノ城


■岡山の塔

岡山の塔 岡山の塔 岡山の塔 岡山の塔


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■岡山の木造校舎

岡山の木造校舎 岡山の木造校舎 岡山の木造校舎


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